心臓弁膜症手術 入院7日目の記憶
いつもと変わらない朝でした。
廊下の窓から外を眺めながら歯磨きをしています。今日も良い天気でした(*‘ω‘ *)
心臓弁膜症という僧帽弁閉鎖不全症の手術を受けるんです。
そのために入院をして7日目になります。
今日が10月12日(木)の手術の日になります。
心臓弁膜症手術を受けたという記憶を残させていただきますφ(..)メモメモ
病室で
朝はいつものとおり
6時30分頃から看護師さんがバイタルを測定してくれます。
『今日は、手術ですね。がんばりましょうね!』
看護師皆さんが、励ましの言葉を掛けてくれます。
食事は前日夕食から禁飲食になっています。
朝は、少々水分のみ取るくらいでした。
9時30分から手術室入室になります。
9時頃に病室を出発となるので、それまでに荷物の片付けと手術準備を進めます。
朝食の時間が終わる8時になる頃
『アキトさん、ICUに持っていく荷物を確認しますね』
『ここの病室へは、戻ってこないから、他の荷物はどうしますか』
「家族へ持って帰ってもらいます」
『点滴を入れる針を入れますね』
手首の針を刺し、いつでも点滴ができる状態にしてあります。
『9時頃に手術室へ向かうから、それまでに手術着に着替えておいてください』
「はい」
手術着は前開きの検査着と同じでした。パンツは着用のままで良いと。
病室を出る時間までに、1時間はありました。
トイレに行ったり、ひげを剃ったり、病室を片付けたりと、
1時間ほど時間はありましたが、忙しく落ち着きませんでした(*´Д`)
頭の中は、手術後の自分がどのような状態になってしまうのか不安はありました。
2日前にうけた手術の説明にあった合併症や感染症は、確率はゼロでは無いんです。
ここまで来れば!
ただ、「やるしかない」
ポジティブに「元気になるために手術をするんだ」
『着いたよ』
『着いたよ』 娘からのラインです。
「ん?! 今日、平日だよね」
手術を受ける患者の家族親族は、8時30分に病棟のホールに入ることができます。
この時間は、病室へは立ち入りできません。
ここで家族は、手術が終わるまで待機をするんです。
手術前の見送りも、このホールまででした。
『着いたよ』
ホールへ行くと、3人の家族に、実母。そして、義理両親まで来ていたのです。
子供たちは遅刻して学校に行くと。親たちは、手術が終わるまで待機をするというのです。
朝早いのに、、、。
持ち帰ってもらう荷物を預けて、話している時間も長くはとれません。
特別な話もしていません。
見送りをする家族も、どういった言葉を掛ければよいのか。悩みますよね。
手術の説明を聞いた家族は、合併症などリスクがあることは理解しているはずです。
9時頃に病室を出発するので、すぐ、病室へ戻って手術着に着替えました。
トイレにもう一度行っておこう。
『アキトさん、それでは行きますよ』
いつもと違う二人の看護師さんが病室へ迎えにきました。
車椅子にでも乗っていくのかなぁと思っていましたが、
歩いて手術室へ向かうという話でした。
手術室へ向かう途中の病棟ホールで、家族とハイタッチをして。
「じゃ、行ってくる」
見送りに来てくれた家族たちに、笑顔で手を振って。
エレベーターに乗りました。
手術室へ
手術室の入り口の扉が開きました。
目の前に、昨日あいさつに来てくれた手術室看護師の〇島さんがいました。
『お名前をフルネームでお願いします』
『手首のネームバンドをスキャンします』
『ピ』
『ピ』
2回スキャンをしました。
『こちらへどうぞ』
なんだ、ここは! この広さは!?
とにかく広い空間が目の前に広がりました。
その広い空間に手術ベットがポツンと置いてある感じです。
とにかく明るい!
手術室の明るさが、真っ白だったことを覚えています。
看護師さんが笑顔で、
「おはようございます。宜しくお願います」
ベットの周りには、大勢のスタッフさんがいました。
この時は、心臓外科医の先生たちは見当たらなかったと思います。
ベットの近くまで案内をされると、
『ベットに座ってください』
『そのままゆっくり、ベットで上向きで横になってください』
『ベットが狭いので、ゆっくりで大丈夫ですよ』
腰を掛けると、水色のベットはフワフワでした。
ベットの横幅は、体の幅程度しかなかったこと思います。
何もかもが、はじめて、いままでにない緊張感でした(゜_゜)
ベットに横になると、わたしが掛けていた眼鏡を看護師さんが取外しました。
ベットの廻りにいたスタッフさんが一斉い、わたしの手や足に機器を取り付ける準備をはじめました。
手首に取り付けてあったリストバンドを切り取りました。
とにかく、手術室は真っ白に明るかった!
手術室に入って、仰向けで横になり、5分は経っていないと思います。
頭の上から麻酔の先生のあいさつがあり、
『麻酔医の〇〇です。アキトさん、だんだんに眠くなりますね』
酸素マスクのようなものが、顏の前に準備されたと、
「・・・・・・・・」
目が覚めて
『アキトさん、だんだんに眠くなりますね』
「・・・・・・・・」
だんだんに?
先生に眠くなりますねって言われてから、数秒だっと思います。
すっと、まぶたがおちました。
、、、、、、、、、。
そのあとの手術室での記憶は、まったくありません。
なんで、こんなところで寝ているんだろう?
寒いんだけど。顔が冷たい。
なんで、廊下で寝ているんだろう?
白い天井に数字が書いてある?、、、、、、
、、、、、、、、、、、、。
なんでだぁ?、、、、、、。
あっ! 俺、今日、手術だったんだぁ。 手術が終わったんだぁ。
寒い。なんか息苦しい、はぁ、はぁ、はぁ
身体が動かない、息が苦しい。はぁ、はぁ、はぁ
背中が痛い。痛いなんてもんじゃない。
やべーまだ死ねないぞ。10年以上前に他界しているおやじに向かって
口の中が乾いてカラカラでした。本当にカラッカラになります!
看護師さんが声をかけてくれていたことは覚えています。
何を話していたのかは覚えていません。
息苦しいかったですが、声をだすことはできました。
看護師さんは、今は水を飲むことはできないので、棒のような何かで口のなかを湿らせてくれたことを覚えています。
これが、すっごく助かった。
これだけで十分でした。
そして、また眠ってしまったのだろうと思います。
なんでこんなに暗いんだろう。
すっごく暗いところにいたような記憶です。
目が覚めたり、眠ったりが続いていたのだと思います。
ここは、なんでこんなに人がいるの?
わたしがここで寝ているのに、明るくて、話声が大きくて、、、、。
ベット周りに数名の看護師さんがいて、ベットが上がったり下がったり動いて。
『アキトさん、どうしましたか!』
『大丈夫ですか!』
声を掛けられていたことが記憶にあります。
ピーコン、ピーコン音が鳴って。
目が覚めたり、眠ったりが続いていたのだと思います。
ピーコン、ピーコン音が鳴って
ベットが上がったり下がったり動いて
とにかく、息が苦しくて、苦しくて。
背中が痛くて、寝返りなんかできなくて。
目が覚めたり、眠ったりだったのだろうと思います。
入院7日目の記憶
病棟の病室から手術室ベットに横になり、
麻酔の先生に「眠くなりますよ」
ここまでは、はっきり覚えています。
その後の手術室でのことは、まったく記憶にありません。
手術が終わったあとに家族が面会しているのですが、記憶にありません。
ただ、寝ているベットの周りには、大勢の看護師さんがいたことは覚えていて、
まったく体が動かせなく、背中の痛みがじわじわと強くなってきて。
今どこに居て、何時なのかもぜんぜん、わかりませんでした。
看護師さんたちに、そのまま体を預けているだけだったと思います。